殷海光編著、本公司翻譯出版的電子書《中國共產黨之觀察(日文版)》經亞馬遜Kindle直接出版平台審核通過,在亞馬遜日本站和除亞馬遜中國站以外的其他亞馬遜境外各站開始銷售了。
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約十天前,我探訪了已經好久沒有去參觀的上海紹興公園。紹興公園是紹興路上的一小公園。曾支援孫中山革命的梅屋莊吉以前居住過該公園附近。梅屋莊吉的銅像於2011年在該公園內建成,剛剛建成的時候,我去參觀過一次,後來也去參觀過幾次。該公園到了晚上就關門,上一次2018年去參觀的時候,是因為來晚了,大門已經關閉,很遺憾沒有看到該銅像。紹興路,又稱出版街,正如名字所說的那樣,周邊有出版社、新聞出版局和版權局等文化有關政府部門以及醫院。再往南走一點,就到著名的旅遊景點「田子坊」。其周圍大都是具有獨特建築風格的石庫門式傳統房屋,現在主要成為藝術工作室、紀念品商店、服裝店和餐館。田子坊內還有清末至民国時期的活動人士楊度的故居。這次可能是因為平日白天來參觀,所以感覺遊客有點少。隔著一條泰康路,其南側有一個大型商業設施,其地下部分區域正在進行升級裝修中,這大概是一個影響遊客數量的原因之一吧。
就版權事宜,經本公司向日本國立國會圖書館查詢,自2023年5月起,國立國會圖書館數位典藏作品當中,柴崎新一著、信濃教育會編《赤松小三郎先生》(信濃每日新聞社、1939年)由原來的「限於國立國會圖書館內、可透過發送服務閱覽」被調整為「無需登入即可閱覽」的狀態。《赤松小三郎先生》存在多個版本,其中,藤澤直枝編《赤松小三郎先生》(信濃教育會小縣部會、1917年)向來就在「無需登入即可閱覽」的狀態。
蘇州政府が2023年春節休暇期間における国有系観光スポットと市内交通の無料開放といった経済対策を実施したのに合わせ、久しぶりに蘇州を訪れた。蘇州は現在では海からやや離れており、上海と比べて気温は低めであるが、今年の春節休暇期間中は撮影に影響が出ると感じるほど寒かった。旧正月の初日にまず訪れたのは天平山。ここには北宋の政治家、文学家、教育家等として有名な范仲淹に関連した范仲淹記念館や高義園がある。続いて訪れたのは、天平山から見て南側に位置する霊巌山の南麓。ここには南宋の名将韓世忠を祭る韓蘄王祠や韓世忠の墓、さらには民主を追い求めて文革期の1968年4月29日に刑死、その後、名誉が回復された林昭の墓がある。ただ、華東地域には春節に墓参りをするという風習があるわけではなく、共同墓地の入口は閉まっており、霊巌山自体も春節休暇の最終日に再開するとのことで閉まっていた。最後に訪れたのは、古い町並みが残る木涜古鎮。その中でも厳家花園は清代に建てられた邸宅であり、嘗て元台湾総統厳家淦の祖父が購入したことがあったという。庭園内では経済的に豊かであったであろう往時を偲ぶことができる。木涜古鎮は上海の七宝古鎮のように市街地にあり、規模がさほど大きいわけではなく、短期旅行者の散策地としても適していると言えるだろう。
4月15日是胡耀邦忌日,我這次提前訪問了位於江西省九江共青城市富華山景區內的胡耀邦陵園。1999年3月首次訪華之時,到了南京之後,我掉頭返回,沒有南下踏入江西省內。後來,從2010年春的南方旅遊回來之時,因上海世博會的原因,開往上海方向的火車票比較難買,於是決定改道去共青城。下車後,我拍攝共青城火車站周邊的照片,在本站下車的其他乘客們迅速合乘計程車而離開,一個人也沒有了。我在站前小賣部詢問老闆這裡有無開往胡耀邦陵園方向的公車路線,他回答稱公車路線即將開通,目前還沒有。他還說清明節即將到來,正好是去掃墓的季節。是的,那時候也是4月初旬。當時是當地升格為共青城市的前幾個月,記得站前已經有大學校園,但大概好像還沒有多少其他建築物。那個時候還沒有地圖APP,也沒帶地圖,下雨中看似連綿不絕的鄉下道路繼續往前行數公里,但最終中途返回。就因為有如此體驗,這次能夠順利到訪胡耀邦陵園而格外高興。從市內公車的車窗上看到了已經相當發展好了的共青城的市貌,包括火車站周邊地區。在胡耀邦陵園內,我還看到了中曾根康弘前日本首相捐贈的櫻花樹。只是想到當年若沒有發生教科書問題和靖國神社問題等事件的話……,還是感到很遺憾的。這次在陵園內有規模較大的改造工程正在進行中,因此無法參觀胡耀邦紀念館等部分重要設施。如今,高鐵都停靠的共青城站,也有開往上海的高鐵列車。下次有機會再來一趟吧。
日文短歌:於胡耀邦忌日(發表於去年2022年4月15日)
自由中國事件、雷震事件是在台灣民主化過程中發生的重要歷史事件之一。遷台後,在台灣出版發行《自由中國》半月刊的浙江人氏雷震先生不僅對企圖三次連任総統的蔣介石加強批評,還籌備創立在野黨「中國民主黨」,結果以莫須有的罪名被捕於1960年,經歷10年囚禁生活後,去世於發生美麗島事件的1979年,民進黨籍阿扁主政時期的2002年才得以平反昭雪。雷震早年留學於日本京都帝國大学等學校,回國後任國民政府高級職務等,致力於自由、民主、和平。但說起雷震的母親陳氏,她在二戰期間的1938年2月20日被日軍殺害(范泓《雷震傳:民主在風雨中前行》(大陸版電子書、廣西師範大學出版社、2013年)。既然有具體的遇害日期,那麼應該可以查到相關日軍士兵大概屬於哪個部隊,或者當時的大致情況吧……。於是,今年的雷震忌日則網絡上稍微查了一下相關訊息。因為時間原因,這次只列舉以下兩個日軍師團的幾份史料。
支援団体が発信した情報等によると、ベトナム戦争時に韓国軍によって行われたベトナム民間人殺害事件に関して、その生存者が韓国の裁判所で韓国政府を訴えた案件は、2023年2月7日、韓国一審裁判所が原告の訴えを認める判決を下したとのことです。
嘗て、韓国籍元日本軍「慰安婦」、女子勤労挺身隊隊員が日本政府を訴えた関釜裁判では、1998年に山口地裁下関支部が立法不作為により原告の内の元日本軍「慰安婦」の訴えを認めましたが、最終的には最高裁で原告の敗訴が確定しました。その後、韓国の裁判所で行われた類似案件では、判断が分かれる判決が出て、その内の一件は原告の勝訴が確定、もう一件はまだ係争中です。また、韓国の裁判所における徴用工裁判については、判決の執行に関して、関係者の間で最終的な調整が続いているようです。
コロナ防止政策の大幅な緩和がなされてから初めて、上海から隣の江蘇省昆山市までを公共交通機関で往復しました。上海地下鉄2号線は上海の中心地域を貫いて走りますが、乗客の数は多くなく、座席は半分以上空いていました。11号線は省を跨ぐ路線であり、上海側の最終駅である安亭駅から省市の境界線を跨ぎ、最終的には、終点である花橋駅で下車しましたが、改札から出る際に特別な手続きは不要でした。花橋駅からさらに蘇州へと繋がる蘇州地下鉄の延伸工事はまだ進展していない様子でした。帰りは、退勤時間帯にぶつかったため、2号線を避けようと、11号線真如駅で14号線に乗り換え、さらに雲山路駅で6号線に乗り換えてみたところ、さすがに6号線は人がいっぱいで、さらに長江を跨ぐトンネルを走る高速バスの中では、隣座席の乗客が咳をしていてビックリ!到着後、PCR検査場に寄ってみると、なんと、そこは別の検査場に統廃合されて廃止になっていました。翌日、別の二箇所の検査場に行って見ると、なんと、二箇所とも臨時休業との貼り紙が!その内の一箇所は、担当者の体調不良により、一週間の休業となっているとのこと。結局、その後、大した影響は出なくて、良かったです。
なお、中国国家衛生健康委員会が2022年12月26日夜に発した公告により、「新型コロナウィルス肺炎」は「新型コロナウィルス感染症」へと名称が変更になり、2023年1月8日より、管理等級の引き下げによって、中国のコロナに関する各種隔離措置は廃止されることになりました。
2011年9月29日夜、上海長距離バスターミナルからバスで杭州へと向かい、杭州西湖の湖畔で一晩野宿をして、翌9月30日、杭州蕭山空港から台北桃園空港へと飛んだ。到着初日は、主に、士林天母エリアを散策した。かつては、中台海峡両岸を直接的に往来することができない時期が長く続いたが、台北で暮らしていた2001年に小三通が解禁となり、上海で暮らしていた2008年に大三通が解禁となって、第三地を経由する必要がなくなり、直接的な往来が可能になったのであった。
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戦犯と
邪教に支配