- Nov 04 Mon 2024 15:27
世界人權鬥士紀念碑(碑文草案初稿)/世界人権闘士記念碑(碑文草案初稿)
- Oct 03 Thu 2024 13:20
宜興人文之林儲安平衣冠塚、團氿風景區/宜興人文之林儲安平衣冠塚、団氿風景区
2024年3月,我有機會搭乘前一年連成一體的上海地鐵和蘇州地鐵前往蘇州,順便從蘇州出發經由無錫前往宜興。宜興郊外有一處公墓,其中有一片區域叫人文之林,供奉著當地名人,儲安平衣冠塚就在那裡,因此前往了該公墓。
進入公墓後,往前走,看到了潘漢年事蹟陳列館和潘漢年衣冠塚。潘漢年曾擔任過上海市副市長等重要職務。由於潘漢年出現在遠藤譽的著作之中,所以各位可能對潘漢年比較熟悉。後來,潘漢年遭判刑入獄,文革後才得以平反。
- Sep 27 Fri 2024 21:40
台南日本軍「慰安婦」少女像の撤去について
6月に雲南省から上海長興島に戻って来た後、台南市日本軍「慰安婦」少女像の関係者3名に対して、Facebookと電子メールにて、少女像移設問題の現在状況を問い合わせる内容のメッセージを送信させていただいておりましたが、回答はないままでした。日本軍「慰安婦」メモリアルデーである8月14日夜に、ネット上で関連記事を軽く検索してみた際には、少女像移設問題に触れられたものを残念ながら見落としてしまったようであり、とりあえず、所謂本土派の人権系NGO職員さんが転載した台北市婦援会主催の関連イベントに関する投稿文に対して、台南市少女像移設問題の現在状況が不明であるとの旨のコメントをさせていただいておりましたが、こちらも反応がなかったため、もしかしたら、そのまま従来の場所に設置し続けらるように関係者間で妥結済みだったりするのかな等といろいろ想像していた次第です。
ご指摘を受けて、早速9月25日に検索してみたところ、8月16日付けで、台南市慰安婦人権平等促進協会理事長童小芸氏のFacebookページ上に、もうすぐ期限が到来するので、台南市振興人文童話公園内への移設を希望するとの旨の一文が掲載されているのを確認しました(「童小芸 深根台南一起打拼」 https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=122132305520299529&id=61558985889057)。やはり、当然ながら、台南市内を優先して希望されているようです。また、9月19日付けの「聯合報」の記事によれば、中国国民党籍台南市議会議員さんが、台南市当局に対して、財源が無いのであれば、経費は自ら調達するので、設置するための緑地の提供を求めたとのことです(聯合新聞網「南市慰安婦銅像拆了!藍議員要市府安置 黃偉哲回應了」https://udn.com/news/story/7326/8237692)。
- Sep 16 Mon 2024 19:00
台北自由墓園、政治大學雷震紀念館暨雷震研究中心/台北自由墓園、政治大学雷震記念館・研究センター
9月16日是殷海光先生的忌日,我使用自己在2024年2月拍攝的原始相片,創作了殷海光先生之墓所在的自由墓園有關影片。
自由墓園位於台北市南港區附近的南港墓園內,從地址來說,在於新北市深坑區(原台北縣深坑鄉)。當然也可以從南港方面去,不過這次我選擇了台北捷運木柵線換乘公車的路線。自由墓園內有大陸赴台自由派知識分子雷震夫婦、殷海光夫婦、傅正先生等曾經對台灣民主化有很大貢獻的《自由中國》雜誌相關人士以及自由墓園的創設人雷震先生的其他家人的墓碑。
- Sep 01 Sun 2024 10:17
四國島新居濱金子山神風特攻隊敷島隊員之墓等/新居浜金子山神風特攻隊敷島隊員の墓等
- Jul 29 Mon 2024 15:43
別子銅山中國殉難勞工慰靈碑/別子銅山中国人殉難者慰霊之碑
- Jul 20 Sat 2024 11:45
赴緬記者長井健司先生墓/渡緬記者長井健司氏の墓
說起緬甸民主運動,最有名的是1988年「8888民主運動」,而在2007年的番紅花革命期間,出生於日本四國島愛媛縣東予地區今治市的長井先生在緬甸仰光拍攝街頭抗爭行動時被緬軍士兵槍殺,多年後,長井先生曾經使用的攝影機返還給家人這一新聞報導迄今仍記憶猶新。時隔約7年,臨時返回家鄉的2024年1月,同樣出生於日本四國島愛媛縣東予地區的我探訪了長井先生的墓。
當天,天氣晴朗,空氣相當清澈,可以眺望到瀨戶內海的對岸。首先,我訪問了日本四國島「88所寺院」中的第54所寺院延命寺,並從寺務工作人員那裡得到了前往市立墓園的路線。順便我轉了一圈,發現在寺院裡有一座供奉行基菩薩的報恩供養塔。行基菩薩是中國大陸系朝鮮百濟國歸化渡來人的後裔,從日本古代飛鳥時代至奈良時代在社會事業等領域取得了巨大的成就。到了市立墓園,就發現墓園的面積很大,詢問幾位現場人員,結果他們也不太了解,還好我最終還是找到了長井先生的墓。
- Mar 22 Fri 2024 23:00
京都赤松小三郎先生遭難之碑等/京都赤松小三郎先生遭難の碑等
大阪釜ヶ崎の宿泊先を出発して、日本橋、難波方面へ進むと、やはり思わず、いろいろな場所に立ち寄ってしまい、京都に向かうのが遅くなって、赤松小三郎先生の墓がある金戒光明寺等、先生ゆかりの他の歴史スポットへ行く時間がなくなってしまいました。とりあえず、今回は時間の関係により、薩摩藩士で先生の門下生でもあった桐野利秋等による先生暗殺の地に設置された赤松小三郎先生遭難の碑のほか、議会政治の提唱等を主旨とする意見書の提出先の一人となった福井藩主松平慶永ゆかりの福井藩邸跡、先生暗殺の日となった慶応3年9月3日(1867年9月30日)から間もない慶応3年10月14日(1867年11月9日)に将軍徳川慶喜が政権返上を奏上し、翌日に明治天皇による勅許がなされたという大政奉還の舞台となった二条城等を廻りました。実際のところ、先生遭難の碑は東本願寺から距離が近いです。他に逃げ道がほぼないような場所が故意に選ばれ、待ち伏せをされたのでしょう。なんとか躱して、東本願寺まででも逃げ込めれば良かったのですが。 思い返せば、2021年2月1日、広島市平和推進基本条例草案に関するパブリックコメントにつき、草案修正意見書を仕上げている際にミャンマー軍事クーデター勃発の一報が入り、その夜、日付が変わってから提出しましたが、ふと、近代日本によるアジア侵略という潮流の源となったと考えられる動乱の幕末明治維新期に、戦争を回避し、平和裏に新時代を迎えられるように尽力した無名の人物も実在したことだろうと思い、調べてみると、出てきたのが赤松小三郎先生でした。あのご時世に、幕府と薩長の間でギリギリまで交渉を取り持ち、平和的転換のために、当然ながら、「とりあえず」、天皇制を維持、利用した民主的転換を図ったとも言えるのでしょうが、薩摩藩士で先生の門下生でもあった桐野利秋等に暗殺されてしまった赤松小三郎先生。仮に、怪我を負ったとしても一命を取り留めていれば、その後はどうなったのであろうか?完全なる共和制への移行の必要性を意識できたのではないのだろうか?真にアジア地域、世界と友好的な政体への移行を推進できたのではないのだろうか?という切り口で考えて、日本語歴史小説の執筆、赤松先生関連パブリックドメイン作品の繁体中国語への翻訳等を徐々に進めています。今回、中古の古語大辞典も無事に入手できました。ただ、他にも翻訳を進めている作品もありますので、赤松先生関連作品の第2弾の出版はまだ先の話になるだろうと思います。近現代政治史といったようなテーマは、採算的になかなか厳しい分野かもしれません。弊社は設立以来連続赤字でありますが、たとえこの先、20年連続赤字となろうとも、闘い抜くつもりです。 今回、約7年ぶりの日本一時帰国の2日目は、雨が降るとの予報でしたが、京都にて小雨が降った程度で済んだので良かったです。山陰本線二条駅から乗車し、赤穂線、瀬戸大橋線等を経由して、普通列車は香川県観音寺駅止まりとなってしまったので、父母が自動車で迎えに来るまで、駅周辺をぶらついてみました。上海から直接高松空港に飛べれば便利だったのですが……。2024年1月3日撮影。
- Mar 21 Thu 2024 11:12
日本国内ミャンマー支援団体への問い合わせ
(省略)、海外での活動はタイの泰緬国境地域がメインであるようですが、雲南省中緬国境地域での活動実績はないのでしょうか?もちろん、昨今の国際情勢や近年導入された海外NGOの中国当局への登録制度等、一定のリスクはあるのでしょうが、ニーズはあると思います。たとえば、やっとの思いで中国に入国したけれども、仕事が見つからず、滞在期限が迫っており、困っているミャンマー人が大勢いて、いろいろ支援したいと思うが、どうしたらよいかと途方に暮れる場面で終わる動画を配信した在中ミャンマーカチン族インフルエンサー、華人ではない他の民族出身のミャンマー人児童が雲南省の学校に入ると、言葉の問題で、授業になかなかついていけないので、雲南省瑞麗市で学校を設立した在中ミャンマー人宝石業者、コーカン自治区の難民キャンプ付近に軍が埋設した地雷を踏んで片脚を吹き飛ばされ、雲南省の公立病院に運びこまれたミャンマー人少女を見舞い、退院して帰国する際の手続き等も支援した中国の貿易業者、昨年11月に私が事務所を訪れて伺うと、コロナと内戦により、もう4年も、向かい側のミャンマーシャン州ムセには行っていないとのことであった女性・児童衛生支援系現地NGO(以前にはムセ事務所も開設していたとの報道あり。メインは雲南省瑞麗市で住民の多数を占める少数民族の支援で、海外NGOとの協力実績もあり、瑞麗市で登記している正規NGO)等です。昨年11月に私が雲南省中緬国境地域を訪れたときは、1027作戦により、時期と場所によっては、向かい側のミャンマーシャン州から伝わってくる各種射撃音も聞こえました。流れ弾が着弾して危険であるため、住民にも避難勧告がなされていて、原則立ち入れない地域もありました。その後、三兄弟同盟と軍の間で停戦合意・和平合意がなされたと言われており、閉鎖されていた一部の国境検問所が先日新たに2箇所再開されたりもしたようです。台湾から上海に戻って来てまださほど日数も経っていないため、4月あたりにでも、雲南省中緬国境地域を再度訪れてみようかと考えています。ちなみに、台湾でも、ミャンマー支援関係者から、事情を伺ったりすることができました。
- Mar 21 Thu 2024 10:56
上海長興島之春/上海长兴岛之春/上海長興島の春